55ページに危機管理の進んだ東海地方にある銀行の話が出てきますが、この銀行のモデルとなった銀行の危機管理の話を聞いたのが1995年ごろでした。 そしてこの銀行が2012年4月にシステム開発の失敗に関して開発を請け負った会社(外資系某大手コンピュータメーカー) との訴訟に勝ったという記事が新聞に載りました。 システム開発会社との訴訟が新聞ダネになるというのは、通常システム開発に失敗してもその責任を開発会社が認めることなど皆無に近いのに、 一地方銀行が世界規模の会社を相手に勝訴したからです。
システム開発に失敗することはしばしばあります。しかしその原因については多くの要素が複雑に入り組んでいているため、 原因を特定して失敗の責任を追及するのは非常に難しいことです。 まして、開発を請け負う会社はそのシステム開発が失敗したときに責任を問われないよう、 あらゆる場合を想定して契約にさまざまな免責条項を入れ込んでいるので、 たとえ原因が特定できたとしてもたいていは免責条項に該当して責任は問われないのです。 ところが、この銀行は自分たちが果たすべき契約上の義務をすべて履行したことを立証したので、 原因が特定できなくても開発会社の責任を認める判決が下ったのです。
普通の会社でこれをやるのは並大抵のことではありません。 ある雑誌にこの銀行の経営についての某大学の調査研究記事が載っていましたが、 そのときの社長(銀行特有の言葉である頭取とは呼ばせないそうです)が就任した数十年前から経営改革をやっていて、 斬新かつ合理的な営業政策を次々に打ち出し、積極的でユニークな経営をしているそうです。 IT利用も業界では進んでいるのに、それにかかる費用は同規模の他行より低いそうです。 危機管理もこの経営方針に沿って進められた結果、独自の危機管理マニュアルを作成していたわけで、 以前に危機管理マニュアルを調査したときに卓越した危機管理を行っていると感じたのは、 その経営改革の一端を見たに過ぎなかったのです。 要するに、進んだ危機管理、システム開発会社との訴訟にも耐える厳格なシステム開発管理、斬新な営業政策等は すべて経営改革による成果だったわけです。 企業の存亡はすべて経営者の手腕にかかっているということを改めて痛感しました。
とここまではよかったのですが、2018年にこの銀行は融資詐欺に加担していたことで社長・会長が 退陣するという不祥事を起こしました。 不動産投資資金の融資に関して担当者が書類を偽造していたことが発覚したのです。 融資実績を上げるための無理な目標が担当者を不正に走らせたわけです。 この銀行は金融庁が地銀のモデルと絶賛していた銀行でもあり、 独自の工夫で営業を伸ばし危機管理やシステム化に関して非常に進んだ経営をしていたのに残念ですが、 経営陣の退陣を招くとは結果として危機管理の基本を怠っていたということです。 最近は社員にしつこくコンプライアンス教育をする会社が増えているようですが、 子が親の背中を見て育つように、経営者に良識がなければいくら社員を教育しても始まりません。 経営陣を選ぶのは株主で株主は会社が収益を上げ、その結果として株価が上昇し、 配当が増えることを望みますから、それに応えるためには手段を選ばないという経営者を選びがちです。 ところがそれは一歩間違うと企業にとって一番のリスクとなってくるわけで、 リスク管理は最後は経営者の良心に追う所が大きいことを実証した例ともいえます。
あるいは経営者は良心的でそのようなことは意図していないのに、管理職が忖度して無理な営業政策を部下に強いていたのかもしれません。 一般的には良い報告や成績を上げてくる部下を評価しがちですが、その人間が本当に会社の将来のことまで考えているのか、 ただ当面の成績を上げることだけを考えているのかを見極めるのも経営者としての資質です。某大手損保会社のある非常に有能な人間が いつまでも部長にならないので不思議に思っていたことがあるのですが、後で聞いたその理由はその人は仕事はできても部下を育てないということでした。 業界を見ても人を育てずに潰してしまう会社というのは社員が馬車馬のように働いて一時期業績が上昇しても、長続きはしていません。 経営者にはそこまで見通す力量が必要とされるということです。
ある日本の洋酒のトップメーカーは音楽ホールや美術館を作って芸術に貢献し、作家や音楽家など多くの才能ある人間を輩出してますが、 酒を造る地下水を保全するために工場の敷地の裏山まで買い取って森林を整備しています。 企業の寿命は人間より短いといいますが、同族経営にもかかわらず明治から続くこの企業の経営はまさに先を見ていたということでしょう。