保険会社は儲けてはいけないか

 保険会社はさまざまなリスクから国民の生活を守るという公共性と、営利企業として利潤を追及するという二面性を持っている。 公共性を重視するなら、すべての保険業は国営にしてしまえばよいのだが、そうすると今度は競争がないためコスト高になる。 しかしこれは本質的な問題ではなく、役所の人事制度の問題である。つまり大過なく過ごすことをよしとする人事制度が問題なのだ。 省利省益に貢献した人ではなくサービスの質を上げコストを下げるような仕事をした人が評価されるような人事制度になればよいのだが、 これは結局は政治家がどう動くかで決まり、その政治家をどう選ぶかは国民の政治意識の問題である。

 本来財力があり経済的リスクをとれる人はリスクをとればよいのだから、保険とはリスクをとれない弱者救済の制度であべきである。 そしてそのリスクがその人の生命や暮らしに直結するものであれば当然国家として保険を提供するべきで、 弱みにつけこんで保険を高く売るような行為は規制されて当然である。

 従って個人や零細企業を対象とした生命保険や損害保険の販売は国による監督規制を受けているのである。 一方、企業が営業するうえでのリスクはその企業の専門分野でありリスク処理はその企業の責任でなされるべきである。 保険行政においても企業保険と個人保険は明確に区別されており、個人保険の販売には認可や届け出が不可欠だが、企業保険については原則自由となっている。 従って保険会社としてもこの2つは明確に区別するべきであり、個人や零細企業相手の保険を売って儲けようとするべきではない。 逆に富裕層相手の生命保険や大企業相手の損害保険なら相手も自己のリスクを熟知しており、 保険会社間の競争原理も働くので、この分野で大儲けしても誰も文句は言わない。 事実、世界中の保険会社の再保険を引き受けているロイズ保険組合、スイス再保険やミュンヘン再保険などは 世界中のテロや自然災害を含むあらゆるリスクを引き受けて莫大な利益をあげている。

 ところが保険会社の中にはこの原則を理解せず、一般大衆を騙して金儲けをしていた会社もある。 金融自由化以前の生命保険会社では大量に保険外務員を採用してその外務員達が親族縁者の保険を取り終えるとお払い箱となった。 また、損害保険では個人契約の自動車保険であげた収益を企業の大口契約の獲得のために使って問題となったことがある。

 現在ではさすがにこのような例はなくなったが、営業予算を抱えている営業現場では今でも耳を疑うような教育が行われている例もある。 某生命保険の外務員教育で外務員から
「お客様の収入からみて明らかに過剰な保険料の提案をしてもいいものでしょうか」
という質問に対して、 講師が
「最終的にはお客様が自己責任で判断されますから、自信をもっておすすめしてください」
という回答をしていた。

 このような教育をおこなっている会社はトップが営業利益だけしか頭になく保険の本質を見誤っているため、社員の保険に対する意識も低く、 結果として保険金不払や支払ミスなどの不祥事が起ることが多い。 金持ち相手に生命保険を売るならいくらデラックスなものを売ってもかまわないが、生活必需品としての保険の保険料が生活を圧迫するようでは本末転倒である。

 損害保険においても同様のことが言える。火災保険でも自動車保険でも必要最低限の補償が得られるように保険を薦めるべきで、 とくに損害保険では保険の目的の価値を超える保険金額を設定しても、超過部分は無効となってしまう。 社員や代理店が超過保険や重複保険を見逃すのはプロ意識が低い証拠である。

 保険会社が利益を追求する営業活動をしたいなら、大企業や金持ち相手に保険を売るべきで、 この場合はリスクが特殊で他に競争者が出てこなければいくら高い保険料でも必要と思えば相手は買う。 保険料はリスク回避のための費用であるから、そのリスクをどのように評価するかで保険料は当然変わってくるからである。 リスク評価とはどのくらいそのリスクを避けたいかという要求の指標であり、それを数値化したものがリスクプレミアムである。 契約者と保険会社でリスク評価が変わってくるのは当然で、リスクプレミアムの設定の正解は1つではない。

 高い保険料を得られる大きなリスクを引き受けるためには、保険会社には大きなリスクを引き受けても 財務の健全性を損なわないような高度なリスクコントロールが必要とされる。 それらは引受条件を決めるアンダーライティング技術、確率統計を使ったプライシング技術、リスク分散のための再保険技術、 あるいは金融市場にリスクを移転するリスク証券化などのART技術である。