本の37ページでアクチュアリーには変わった趣味を持っている人が多いと書いてありますが、
これは事実です。実際に剣道、柔道、空手など合わせて15段を持っていて公認会計士と弁護士の
資格も持っていた人がいますし(正に文武両道)、音楽でもカラオケではなく演奏が好きな人が
けっこう多いです。CDを出したり楽団に所属している人もいますし、確かめたわけではありませんが、
自宅にスタジオを持っている人もいるらしいです。とにかく知り合いの中にもピアノ、ギター、フルート、
バイオリンなどをやる人が多くいます。その他合コンが好きで引退して結婚相談所を始めたり、農業コンサルタント
になったり、コーヒーが好きで専門店を始めた人もいます。また数学に関係しているからか囲碁の有段者
も多いですし、変わったところでは東洋経済に連載記事を書いていた恐竜マニアの 蟹分解(かにわけさとる)
氏もアクチュアリーで本の中にも登場していますが、彼だと気がつく人はほとんどいないと思います。

 海外での登場人物もほとんどが実際に会った人たちをモデルにしていて78ページあたりに登場する
海軍兵学校出身のアクチュアリーとは一緒に仕事をしていて、実際にロックミュージシャンでした。
さしずめ日本でいうと防衛大学校出身ということになるのでしょうが日本では防大出身アクチュアリー
というのは聞いたことがありません。アメリカでの出来事は実体験に基づくものでありアクチュアリーが
使える役員専用食堂や社有ジェット機などの話しも事実に基づいています。

 本の117ページあたりから始まる国際会議のモデルとなっているのは2000年にイタリアの
リゾート地であるポルトチェルボで開催されたASTIN/AFIR国際会議です。ただし、中に出てくる
バーミューダスタイル再保険等の研究発表はそのときのものではなく、2002年にカンクーンで
行われたICA国際会議で発表されたものです。

 会議の中のクルージングで無人島まで泳いでいった80歳近い大先生のモデルとなっているのは
IBNR計算のベンクテンダー法やベンクテンダー賞で有名なベンクテンダー先生で、実際にはこのとき
既に80歳を超えていました。ベンクテンダー賞はこの前年に先生が80歳のときに設立され、
この会議では第1回ベンクテンダー賞の受賞者が決定されています。ベンクテンダー先生には1991年に
ストックホルムで開催されたASTIN国際会議の晩餐会で初めてお会いしましたが、そのとき私が日本から
来たことを知るとテーブルから紙ナプキンをとり、それにメッセージを書いて帰国したら友人である大学
の先生(損保出身)に渡すように託されました。当時の日本ではまだ損保に保険計理人は不要とされ、
損保分野の会議であるASTINに出席する日本人は少なかったのです。 その晩餐会の席でなかなか外国人たちの
輪に入れなかった私たち日本人を美しい金髪のアメリカ人女性がテーブルに招いてくれたのですが、彼女の夫
ギャリー・パトリックは第1回ベンクテンダー賞の審査をした人です。ギャリーはもともと大学の数学の先生
でしたが、大変な愛妻家でこの美人奥様(インド舞踊ダンサー兼プロデューサー)のために大学をやめて
妻と共にニューヨークに移り損害保険会社に就職しました。そしてアクチュアリーとなり、大手再保険会社の
チーフアクチュアリーを勤めながらCAS(Casualty Actuarial Society:米国損害保険アクチュアリー会)の
教科書の編纂などを行いました。本の171ページでアメリカから小話を送ってくるアクチュアリーは
ギャリーその人で、現在は引退してニューヨーク郊外の湖畔の別荘でミニチュア鉄道とトランペットに
凝っているようです。ストックホルムで初めて会ったときは幼かった娘さんも今ではCASの正会員で大手コンサルの
パートナーとなっていてIFRS担当責任者として来日したりしています。(つまり親子でアクチュアリーです)
日本アクチュアリー会創立100周年記念国際会議には夫妻で来日し、私が日本観光の手配をして一緒に富士登山
をしたのですが、会議の晩餐会ではビュールマンの公式や日本の大学での講義で有名なETH(チューリッヒ工科大学)
のビュールマン教授を紹介してくれました。ETHでビュールマン教授の後任となり、日本アクチュアリー会で講演を
行ったエンブレヒト教授も第1回ベンクテンダー賞審査の責任者でした。

 その他の様々なキャラクターや事件の登場人物にもモデルとなっている方々がおりますが、業界の内情に
詳しい方なら種々のエピソードから容易に想像がつくと思います。